生命倫理

2007年3月13日
倫理感の基本は、自分自信が大事なら、他人も同じだけ大事にすべきである、ということであろう。
ならば、自分の命が大事であると、本当に考えて生きている人間はどれだけいるのだろうか。

確かにほとんどの人間は死にたくはない。
しかし、生まれたくて、生まれてきたわけではない。
それどころか、ほとんどの人間は、生まれてきたことを、一度は呪ったことがあるほどである。
それは命を大事に思うという次元のものではないと思う。

殺人を肯定する者は、多くない。
けれど、中絶について、否定する者は、どれだけいるのであろうか。
それは、中絶を、生の中断と捉えてはいないからであろう。

確かに、17歳でガンになりこの世を去るものと、生まれたばかりで死んでしまった場合、それは違う。
親からすれば、違いこそあれ、どちらが重いということはできないであろうが、客観的にみれば、それは生後間もなく者に、無念があったとは思えない。

生まれ出た生命は、言うまでもなく、本人のものである。
ならば、親の気持ちがどうであれ、それは保護されるべきものである。
しかし、そこに無念さがないのであれば、そこには、先に倫理感である自分自身が嫌がることを相手にはしないということでは、その命を守る意味が乏しいのである。

僕は、もう中絶を選択しない。

それは、子供に対する倫理感からではない。
相手に対する倫理観からである。

おそらく多くの日本人が、中絶を悪とする倫理の根拠を言えないと思う。
倫理とは、人間がなんらかのために作り出す概念である。

人間が滅ぶことが地球のためであるならば、中絶は善である。
人間が滅ぶことが善であるならば、中絶は悪である。
その程度しか、僕に思い浮かばない。

僕の思いが特別なものでない、この国に生命倫理などない。
(あればよいといいたいわけはない)

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