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monopoly
2005年3月15日ゲームではありません。
恋は、モノポリーと同じゲームなのだろうか。
恋は、相手を独占しようとする。
自分のいうとおりにさせようとする
自分のことだけを考えさせようとする。
自分のためになることを自発的にさせようとする。
愛という架空の概念を盾に、
人は他人に対して、実に恐ろしい試みを行う。
確かに好意という感情が、独占のトリガーとなっている。
しかし、よく考えてみれば、好きという一見、純粋な感情は
実は、他人を所有し、独占しようとする発端なのだ。
果物が好き
それは果物を食べたいのだ。
果物を大事にしようということではない。
ネコがすき
それはネコを所有したいのだ。
ネコを本来的に大事にしようというものでない。
大事にするという、これも一見、純粋な感情。
これもまた、実に恐ろしい感情で、自分のためになったり、
そうでなくても、自分の価値観の枠にはめることだ。
相手の価値観というか、相手の世界を尊重するような、好意なり、恋なり、愛情があるのなら、それは別の言葉で呼ばれるべきで、
いまや、好意なり、恋なり、愛などは、それは独占欲以外の、何ものでもない気がする。
恋は、モノポリーと同じゲームなのだろうか。
恋は、相手を独占しようとする。
自分のいうとおりにさせようとする
自分のことだけを考えさせようとする。
自分のためになることを自発的にさせようとする。
愛という架空の概念を盾に、
人は他人に対して、実に恐ろしい試みを行う。
確かに好意という感情が、独占のトリガーとなっている。
しかし、よく考えてみれば、好きという一見、純粋な感情は
実は、他人を所有し、独占しようとする発端なのだ。
果物が好き
それは果物を食べたいのだ。
果物を大事にしようということではない。
ネコがすき
それはネコを所有したいのだ。
ネコを本来的に大事にしようというものでない。
大事にするという、これも一見、純粋な感情。
これもまた、実に恐ろしい感情で、自分のためになったり、
そうでなくても、自分の価値観の枠にはめることだ。
相手の価値観というか、相手の世界を尊重するような、好意なり、恋なり、愛情があるのなら、それは別の言葉で呼ばれるべきで、
いまや、好意なり、恋なり、愛などは、それは独占欲以外の、何ものでもない気がする。
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