僕は何事にも、こだわらないことが、大人だと思っている。
自由な判断ができ、事実を見極め、真実に近づけると思うからだ。

だから、こだわってはいけないとも言わない。
こだわらないことにも固執しない。
それこそが、真のこだわらない、自由に開放された精神なのだと思っている。

そうすると、僕は、ネズミーランドなどは、僕のこだわりの象徴である。

なんだ、あそこは、平和ボケした連中が・・・
ねずみ!ネコの方がかわいいのに、気色の悪い・・・
アメリカに文化まで乗っ取られた証みたいな場所・・・
本当に面白いと思っていっているやつなんかいてるわけない・・・
かわいい女を装う場所、わかりのいい男を演じるところ・・・
結局、子供にもどっても、SEXしたいんやろ、するんやろ・・・
色が変、音が変、浅い文化の掃き溜め・・・

そんな風に思い、迎合できない自分自身を、誇示していた。

そして、それも潰す機会ができた。
好きな彼女のためならいける。
その力を借りて、僕は変わりたい。

結局、人間は、なぜかときによって、
変わることが価値と認め、
変わらないことが価値と認める。

どちらかといえば、
異性に対しては、変わった自分をアピールする。

「あなたに会えて、こんな恥ずかしいことができるようになりました」
「これまで嫌だったけど、あなたにはこんなことができるなんて、なんてハシタナイ・・・」

こんな劇画がよくありますが、これは真理です。

逆に、同性に対しては、変わっていないことをアピールし、価値をおく。

「10年ぶりにあったけど、変わってないなー」
「君も変わっていないなー」

お互い、禿と白髪なのに。

どちらが前向きか。
異性間の交流だろう。

地元でつるむ男たちは、行き遅れた変われない奴らなのが、典型だ。
保守だ。

女に目覚め、デビューして、どんどん色気づいていくスーフリみたいな奴らが典型だ。
革新だ。

では、ネズミーランドとは、
女が変わらない幼心を訴え、
男が変わる大人心を訴える場。

そんな政治的においのする場所なのだ。

そして、僕も変わるよと、大人だよと訴えてみたいと思った。

たまに、もっと愚かな男がいて、
僕も変わらないよ、ネズミーが好きだよという奴がいる。
これはもはや男でない。
おこちゃまである。

わがままをいうかわいい女
わがままを受け入れるいい男
を演じる場所。
それがネズミーランド。

所詮、ごっこする場所ですが、それは家庭を築くに至るに、
ごっこは、絶対に必要な能力なので、
だって、子供にごっこしてやらないとね。

やっと、僕もごっこができるような、広い心が持てた。

なんか間違ってる?
僕の彼女、これ読んで、気悪い?
悪いやろうな。

うそやで。
もー、自分で価値下げてしもた。

ここに書くのは、みんな嘘やねんから。

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