優しさ

2004年5月1日 恋愛
彼女は僕が苦しんでいるという。
だから別れようという。

この日記をみて、僕の行動をみて、そう思うのだろうか。
少なくとも彼女の内的な僕がそう思っているのだろうか。

僕は、実際、誰の前でも苦しそうにしていないと思う。
確かに満面の笑みを浮かべ続けられる程、幸せでないけれど、それはいつもそう。

彼女も苦しいのだろうと思う。

僕たちを苦しめるもの。
それは何だろう。

僕たちをそれぞれ求める者がいて、一時はそれを受け入れていた。
それを中断している。
しかし、僕たちは、その求める者が不幸な状態を受け入れられないこと。

僕は君が優しい人だから、真摯に自分自身のことを好きだと言って行動してくれる人に好意をもち何かしてやりたくなることを知っている。

僕も同じだからよくわかる。

僕たちは、自分自身が愛されることをどこかで望んでいる。
そして、それが自分の意思にかかわらず、それを尊く感じる。
逆に、自分の意思が邪険にされることを、とても恐れる。
好きな人に、好かれないことを、恐怖に感じる。

僕は、そんな自分の弱さを、他人にも感じた時、嫌悪を感じてきた。

「私の恋人はとても優しい人なの」

僕はいつも思った。
「どんな犯罪者でもやくざでも、自分の好きな人には優しいわ。たとえ人を殴って稼いできても、家に帰って好きな人には優しくするわ」

「誰でも、好きな人には優しいねん。けど、それは優しい人だからじゃない。」

自分が優しい人だと感じる。
優しい人ということに絶対的な価値を感じない。

そういうこと。
僕たちが苦しいのは、優しさからだ。
それが本当の優しさとか、意味のある優しさとか、そんなことわからない。
けど、その優しさは、相手にとって価値のあるものなのだ。
お互いそれでもいいと言われるのだ。

優しさは、自分で決めることじゃなく、相手が決めること。
自分が優しいと思ってしても、相手が感じなければ意味がない。
逆に、自分に嘘があっても、相手が感じれば優しさだ。

そして、僕たちは、まんざら嘘でも優しさを、僕たちに好意を示してくれる者たちに与えられる。

「両想いが前提の優しさ」

逆に
「身勝手な優しさ」
というのは、自分本位の優しさなのだろう。
けれど、
「片想いの優しさ」

僕は、身勝手な優しさに、枯渇している。
それは、僕はあまり何も求めない性質だからだと思う。
好きな人に何も求めないのは、何もないからでなくて、それもイヤかもしれないから、という優しさからだと思う。

そして陰で満たそうとする。
だから、本当に優しいのではない。
中途半端。
最悪。



自滅。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索