恋のシガラミ

2004年2月27日 恋愛
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最初は、それらは「生活」において+αの存在として始まる。
それがだんだん大きくなる。
「生活」に入ってくる。
「生活」に穴がもとからあれば、すぐにそこは埋まりだす。
そして他の生活を壊し始める。
当然、壊れかかっていたものや壊したかったものを凌駕するところから始まる。
その革命が、快い。

※生活:精神的(ココロ、脳、嗜好など)、物理的(時間、カラダそのもの)といった生きる営みを、ここではこう呼びます。

その革命の過程で不安が生じる。
「怯えている」
「守るべきものがある」
「壊し難いものがある」
ということが理由だろう。

不安がないときがある。
「自分の幸せだけに没頭しているとき」
「あまりにも相手を信用しているとき」
「何のシガラミもないとき」

そして
「お互いのシガラミを尊重することを前提としているとき」

これは、いつの日からか、身についたこと。

「家庭の事情」
門限
犬や猫

子供

「本人の事情」
仕事

病気
趣味
トラウマ

性格
理想

このように誰もが生活のシガラミを持っている。
あいて、家族と本人とわけたが、結局のところ本人の事情だ。
親を大切にしたいという本人の事情というわけだ。

また、誰もが許せない相手に対するシガラミを持っている。

貧乏
贅沢
結婚
借金
変態

など、人によりその内容も程度も様々だ。

結局、シガラミについて、こう考える。
尊重できるシガラミ
破壊したいシガラミ
今は尊重するが、いずれは破壊したいシガラミ。

シガラミを、今、本人がどう思っていて、それをどうするつもりなのか。
これが論点となる。
実は、多くの場合、すべてのシガラミは、相手にとって好ましくない。
好ましいものも、いつの日にか要らなくなる。
「好きなところが、嫌いになる」のが典型だ。
自分という要素を含んだシガラミを、新たに与えたくなる。

先ほども述べた、生活の革命を求める。
自分という存在を、相手の生活の中に、覆い含めていきたいのだ。

最初は、相手の生活の一部になれるだけで嬉しかったのが、
それがどんどん入りこみたくなり、
最後には、凌駕しつくしたくなる。

最初は、ココロが欲しかっただけなのに、
いつしかカラダも欲しくなる。

最初は、シガラミを許し、シガラミをも愛したのに、
いつしかシガラミを憎み、破壊したくなり、
最後には、新たなシガラミを設けたくなる。

また、シガラミを作ることが、互いの安心になる。
自由とは相反すること。

けれど、僕の弱さは、シガラミを自分に設けることが心地よいし、それが愛情表現になると思っている。
けれど、僕のそんなシガラミを誰も信じてはくれない。

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